白鳥の湖 ― 2010/01/16 08:56
最近の新聞記事で 「ロシア政府、世界遺産のノボデビチ修道院をロシア正教会に返還へ」 と掲載されていた。
モスクワの「赤の広場」や「クレムリン」から西にあり、モスクワ川の麓にたたずみ、元は女子修道院としておよそ500年前に建てられている。
観光客が多いのは、チャイコフスキーがこの湖の周囲を散策しながら、バレエ曲「白鳥の湖」の構想を練ったと伝えられているからだ。
修道院のこちら側は広い公園で、市民や観光客がのんびりと散策している。その辺にスッとチャイコフスキーが現れそうなそんな雰囲気の場所である。
90年前、ソビエト社会主義共和国連邦は反宗教の立場をとり、ロシア正教会は弾圧を受け、多くの聖職者が死刑・流刑、教会も3万あったのが500以下にさせられた。
20年前の1991年、現在のロシア連邦共和国 になり、ようやく復活を認められてきての返還なのであろう。
中国も文化大革命で、中国の宗教も、チベット仏教も迫害・弾圧されてきた。ダライ・ラマは未だ対立している。
古く日本でも、江戸時代のキリシタン弾圧、織田信長の本願寺を頂点とする一向一揆の弾圧もあった。
いつの時代も、時の政権と宗教は対立してきた。
何故なのだろう?
中国は表向きは信仰の自由を認めながらも、実は宗教を厳しく管理下においている。13億という国民を治めるには、力で国を治めねば中国共産党の真価が発揮できないのだろう。一番恐れるのは、国民が宗教と言う方向に行くのを何としても防ぎ、イデオロギーで治めたいのである。
一方、チベットは、当時のチベット国王が国を治めるのに、チベット仏教という宗教に目を向けさせ、解決できない事柄は神の庇護の元にといい、国王に対する不満の矛先を逃れてきたと言われている。
国と宗教の対立もあるが、キリスト教とイスラム教の対立も昔から続いてきた。スペインのアルハンブラ宮殿のように、キリスト教の教会の中に、イスラムのモスクが変わって建てられたり、その逆であったり。
トルコのカッパドキアでは、イスラムに追われたキリスト教信者が、洞窟の中に住宅や教会まで作り、隠れ住んでいたりしている。
また、イスラム同士の争いが未だイラクで不幸をよんでいる。
はたして宗教は人間に何をもたらすのであろうか?
アインシュタインは晩年、宗教について「子供じみた迷信」と否定的な考えを示していた。また、「神と言う言葉は、私には人間の弱さの産物という以上の意味はない」 とも言っている。 が、しかし・・・・・
モスクワの「赤の広場」や「クレムリン」から西にあり、モスクワ川の麓にたたずみ、元は女子修道院としておよそ500年前に建てられている。
観光客が多いのは、チャイコフスキーがこの湖の周囲を散策しながら、バレエ曲「白鳥の湖」の構想を練ったと伝えられているからだ。
修道院のこちら側は広い公園で、市民や観光客がのんびりと散策している。その辺にスッとチャイコフスキーが現れそうなそんな雰囲気の場所である。
90年前、ソビエト社会主義共和国連邦は反宗教の立場をとり、ロシア正教会は弾圧を受け、多くの聖職者が死刑・流刑、教会も3万あったのが500以下にさせられた。
20年前の1991年、現在のロシア連邦共和国 になり、ようやく復活を認められてきての返還なのであろう。
中国も文化大革命で、中国の宗教も、チベット仏教も迫害・弾圧されてきた。ダライ・ラマは未だ対立している。
古く日本でも、江戸時代のキリシタン弾圧、織田信長の本願寺を頂点とする一向一揆の弾圧もあった。
いつの時代も、時の政権と宗教は対立してきた。
何故なのだろう?
中国は表向きは信仰の自由を認めながらも、実は宗教を厳しく管理下においている。13億という国民を治めるには、力で国を治めねば中国共産党の真価が発揮できないのだろう。一番恐れるのは、国民が宗教と言う方向に行くのを何としても防ぎ、イデオロギーで治めたいのである。
一方、チベットは、当時のチベット国王が国を治めるのに、チベット仏教という宗教に目を向けさせ、解決できない事柄は神の庇護の元にといい、国王に対する不満の矛先を逃れてきたと言われている。
国と宗教の対立もあるが、キリスト教とイスラム教の対立も昔から続いてきた。スペインのアルハンブラ宮殿のように、キリスト教の教会の中に、イスラムのモスクが変わって建てられたり、その逆であったり。
トルコのカッパドキアでは、イスラムに追われたキリスト教信者が、洞窟の中に住宅や教会まで作り、隠れ住んでいたりしている。
また、イスラム同士の争いが未だイラクで不幸をよんでいる。
はたして宗教は人間に何をもたらすのであろうか?
アインシュタインは晩年、宗教について「子供じみた迷信」と否定的な考えを示していた。また、「神と言う言葉は、私には人間の弱さの産物という以上の意味はない」 とも言っている。 が、しかし・・・・・
秀岳荘 ― 2010/01/16 15:41
北海道新聞に10回シリーズで「私のなかの歴史」-山とともに半世紀ー秀岳荘社長 金井哲夫さん が掲載された。
「山屋」さんなら欠かさず読んだ事でしょう。北海道で登山を趣味としている人の大半は、この店で世話になっている。懐かしく10日間新聞を読んだであろう。
平成17年に「山の仲間と五十年」の記念誌が180ページで発行されている。年表は明治4年から記載されている。貴重な業界誌である。戦後に生きる現在のクライマーは青春そのものであろうと思われる。
札幌の「秀岳荘」と、東京・高田馬場駅前の「カモシカスポーツ」、そして全国区の「石井スポーツ」にはお世話になった。仕事に行かずとも、週末山行のための装備調達で、店には必ず行った。
最終文中、次期社長には、次女の夫で現専務の小野さんと紹介がある。
素晴らしく親切で有能な魅力のある人だ。
私が二年前に、組織のルポルタージュでインタビューをした時は、誠に的確に登山界やスポーツ界の今後を分析していた。この方なら企業の経営者として、立派に経営されると確信したことを思い出す。
(ルポ文は、当ホームページ~会報文~ルポルタージュ・山岳会の今を考える「消えた若者」)
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