・感動の世界 マッターホルン2024/02/02 16:02


  感動の世界 今回はスイスのマッターホルン その美しさが感動を呼ぶ


            ツェルマットの街

マッターホルンのお膝元にある有名な観光地、人口6,000人ほどの山岳リゾート、ツェルマット。 今では年間およそ200もの観光客が訪れている。


     雪のマッターホルン

                  逆さマッターホルン
   ホテルの窓から、日の出前

            朝陽があたってきた

       だんだん鮮明に。ホテルの宿泊客が一斉にシャッターを切る音

 朝陽に輝くマッターホルンとツェルマットの街 

           ついにクライマックス!

              ホテルのテラスから見るマッターホルン



マッターホルンを登ろう!

ツェルマットからロープウェイや列車やケーブルカーなど、色々な乗り物であっちこっちに行ける。スイスは観光立国。



ツェルマットの村から8人乗りの高速ケーブル「マッターホルン・エクスプレス」に乗って約12分でマッターホルンの麓、シュヴァルツゼーへ。




シュヴァルツゼー駅近くの、 色彩鮮やかで人気の、ホテル&レストラン。
さあ~ここからマッターホルンへ向けて登山開始!


ルート図 太線の最後がヘルンリ小屋(3,260m)

マッターホルンは、アルプス山脈に属する標高4,478mの山

マッターホルンという名称は、ドイツ語で牧草地を表す「matt」と、山頂を表す「horn」に由来している。
 マッターホルンの切り立った北壁は、アイガーおよびグランド・ジョラスと合わせ三大北壁と呼ばれる。
 1865
年、エドワード・ウィンパーらで初めて登頂に成功した。
 マッターホルンは技術が必要であるものの熟練登山家にとってそれほど難くないとされている。
 部分的に補助用ロープが張られている部分さえある。しかし未熟な登山者による岩場からの滑落や遭難などで、年間何人かの登山者が命を落としている。死亡者数は500人以上にのぼる。


         岸壁に鉄の階段、下は切れ落ちた谷

                いよいよ核心部分の雪壁を登る

     ヘルンリ小屋が近づいてきた


       あと高低差100m程度、これからが雪との戦い。


                  ヘルンリヒュッテ  3,260m

ヘルンリヒュッテ

標高3260mに建つ定員170名の山小屋。何度も建て替えられて、トイレとシャワーが各階に設けられた。


   ヘルンリヒュッテのテラス

           ヒュッテの部屋


                  おいしい食事



         小屋の上から
              小屋全体

              ガイドとザイルをつないで岩壁を登る

 ソルベイ避難小屋 4,003m

             マッターホルン登山は時間との勝負

夜明けから登りだし、雪が融けないうちの午前中に下山する。

     頂上に立つ登山者


          下山後、ビールで乾杯!

・感動の世界 地下教会2024/02/09 10:33


     今回はアフリカの地下教会、なんと11もが手で彫られた 
 
   を越え、を越えて信者はやってくる  

 大地溝帯(地球の裂け目)により、高山、サバンナ、湖、熱帯雨林など多種多様な環境が造り出され、その代表的な地域がエチオピア。その高低差は100m。
 アフリカを植民地化しようとしたヨーロッパ先進国はアフリカ全土をこぞって植民地としたが、ここエチオピアだけは避けた。それは100mの高低差のある国土を支配するにはあまりにも過酷ゆえであった。 

    キリスト教信者は粗末な食糧のみ、着のみ着のままで何日も


アフリカにおいて最大の宗教はイスラム教、その割合はアフリカ全人口の50%。一方、キリスト教は第二位、その割合は38%。

昔から二大宗教での攻防が続いてきた。特に代表されるのはスペインなどのイベリア半島でのレコンキスタ(再征服)である。

                   ひたすら歩く

エチオピアは、4世紀にキリスト教が伝来して以降、周囲をイスラム諸国に囲まれながらも、アフリカにおいて当時は唯一のキリスト教国。

 エチオピアの国王ラリベラは、信仰心の篤い王で、12世紀末、聖地であるエルサレムはイスラム教徒の手に渡っていたため、ラリベラを「第二のエルサレム」にするべく複数の教会造営に着手したといわれている。


          地下に彫られた教会にやってきた

エチオピア:ラリベラの岩窟教

会群  何と地下に11ものキリス

ト教会。 

それらは手で23年かけて彫り上

げられた。


11か所の教会が地下に造られた

標高2600mの高地にあるラリベラは人口17,000の小さな町。

ラリベラの教会群ヨルダン川を境に第1グループ(6つの教会)と第2グループ(5つの教会)の大きく2つに分かれている。

ヨルダン川は本家のイスラエルとヨルダンに流れる「ヨルダン川」にちなんで名づけられている。川というより頼りない細い川ともいえる。


                                    ギョルギス教会
遠くからでは見えず、間近に行かねば教会は見られない。他の教会もすべて同様である。

                ギョルギス教会の全容         

エチオピア正教会のキリスト教徒が全国各地から一生に一度の巡礼に訪れる

ラリベラの人口は2万人以下。しかし、1月初旬の「ゲンナ」と呼ばれるエチオピア暦のクリスマスになると、その人口は5倍に膨れあがる。神を求める巡礼のために来た人々だ。イスラムではないが「神は偉大なり」か! 

イスラム教国に囲まれたエチオピアのキリスト教信者は、異教徒の襲撃を避けるために、このような教会を造ったという。ラリベラはエチオピアのキリスト教にとって崇高な場所であり、現在も巡礼と信仰の場として崇められている。


異教徒の襲撃から逃れるためにこんな地下に造ったと言われる。

何と11棟の教会が硬い岩をくりぬいて手で山肌に彫り上げられた。完工には23年を要した。遠くから見ることはほとんど不可能で、北方から侵攻してくるイスラム教徒から隠れて礼拝する安全地帯をキリスト教徒に提供した。

巡礼の人々はとても貧しく非常につつましい。お金を工面できた人は一生に1度の巡礼の望みを果たそうと、この場所にやって来る。エチオピアのさまざまな場所からやって来るが、食料以外ほぼ何も持たずに徒歩で訪れる人も多いという。

 

日が落ちると、数千本のろうそくに灯をともして礼拝が続く。「この世にめったにないほど非常に美しく詩的な光景で、ロマンチックでさえある」という。

 

巡礼者らは夜になると、ろうそくの光や星明かりを頼りに集団で祈る。大半の人はそのまま夜明けまで祈り続ける。


     途上国の教会やイスラム教のモスクは靴を脱いで入場 

 
             巡礼者は白い着物、ようやく念願のお参り


 何十年も敷かれた絨毯には「ダニ」が寄生?

清潔な日本人は靴下の上からレジ袋をかぶせてダニ対策。そこまでやるか!と欧米人。

             教会の中


各教会には聖職者が待機、多くの聖職者は観光客によるところの収入で生活が成り立つ。天井や壁には宗教画が飾られている。
信者でなければ有難味は伝わらない。


教会は地下でつながっており、迷路を進むようで楽しい?


         教会群の中には天国への道がある

こちらは地獄の道、20mほどの道は真っ暗闇、左手を壁に右手は頭を守るため、天井に触りながら歩く。まさに地獄体験。

エチオピアとは!

1.アベベ・ビキラ のマラソン2大会金メダルなど、陸上に強い国。
 2.コーヒーの樹、発症の国。
 3.青ナイル源流の国。
 4.地下に教会群がある国。
 5.ソロモンとシバの女王の伝説。
   6.
人類最初の二足歩行ルーシー。

   アベベ・ビキラ


         エチオピアの山奥のコーヒー園


              この一滴がタナ湖へ、そしてナイル川へ


      「シバの女王の神殿跡」

         人類最初の二足歩行ルーシー

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有名な巡礼地


    チベット仏教の五体投地


サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路  キリスト教  820km
        巡礼者は年間に約20万人以上


                   イスラム教の巡礼

イスラム教の聖地であるメッカとメディナにはハッジに合わせて200万人以上が参加する。

   ユダヤ教巡礼者.嘆きの壁


              四国八十八箇所の巡礼
    年間20万人と言われている。

いつの時代にも神と仏、八百万の神にすがる人々がいる。しかし神仏を見たものは誰もいない。