・あいの里だよりーNO52019/07/23 10:45

「あいの里」とは「藍」なり 編

転居先の町が「あいの里」ゆえ、てっきり「愛」だとすっかり思い込んでいた。ずい分ロマンティックな名前を付ける街だと感心していたが、違っていた。それは植物の「藍」であった。
明治15年、徳島県から蝦夷地開拓のために徳島県から開拓団が当地に入植。大豆、小豆、大根、ソバ、トウモロコシの他、藍の栽培を始めた。
当時徳島県は藍の一大生産地であり、その商品価値に着目していたためである。
                    藍の花

その後100年を経て、昭和50年にこの地はニュータウンあいの里として札幌のベッドタウン化していった。

ここで「藍」の歴史を調べてみる。
時代は紀元前3,000年まで遡る。インダス文明の遺跡から藍染めの染織槽跡が発見されている。そして紀元前300年頃にはシルクロードを通じて、インドやエジプトを中心に流通していった。
 藍の栽培地

日本には奈良時代、唐から伝来し法隆寺で多数保存されていると言う。
                    藍染

やがて北海道の札幌や伊達で栽培され、現在では伊達市のみで生産維持されている。多くは安価な化学染料に取って代わられている。

「藍」は健康食品としても注目されている。
ポリフェノールの高さは、ブルーベリーの4倍、「藍のサプリメント」まで商品化されている。
     藍の粉末クッキー
                藍の革財布
また、藍の粉末を使用したクッキー、藍で染めた革財布などはお洒落の最先端である。

「青は藍より出でて藍より青し」
という中国の「荀子」(ジュンシ)の有名な言葉がある。直訳すると、
「君子が言われた。学問は永久に継続して修めなければならないものだ。青い色は藍という草から取ってできたものだが、それはそのもとである藍よりもさらに青い。氷は水からできるが、水よりもさらに冷たい。」
含蓄のある言葉ではないか。

あいの里に転居した夜、夢に見た。「藍」のピンクの花園に囲まれて幸せな人生を送る自分を・・・

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