・恩師 ― 2016/01/08 13:45
「満緑に 映える涙や 非行の子
」
この句は、高校時代に非行に走った生徒の事を、恩師が俳句に詠んだ句である。ある雑誌に投稿して入選したそうである。入選よりも、その子が更生したことを、心より喜んで披露してくれたのが印象に残っている。
数十年前の高校生の頃、恩師に聞いた句であったが何故か未だに忘れない。だが、上五の ”満緑に” を忘れていたので、今回の新年会に聞いてみた。

すると恩師はさすがである。数十年も前の句だが、よどみもなくスラスラと詠んでくれた。恩師は86才である。
ここ毎年、正月に近隣に住む高校時代の同級生10人前後を集めて、恩師を囲んで新年会を開くのが恒例となっている。

未だに教えを請うのが目的である。何故かと云うと恩師は現在お坊さんである。説教は得意(?)なのであるからして、そのご高説を拝聴するのが楽しみなのである。お布施は当然必要ない。そればかりか飲み会の会費も割り勘にせよと云われる。
何故、お坊さんになったか・・・長くなるので簡潔にまとめた。

身内の大事な方を亡くし、仏壇にお経を上げるうちにしっかりしたお経を、と言う事で一念発起して僧侶を目指したと云う。
資格を取得し浄土真宗の寺に籍を置き、檀家回りを始めたのは70代後半の事である。現在も現役である。
恩師は多才である。
登山が大好きで、愛犬と共に北海道の名のある山を殆ど登り、岩登りや沢登り、はてはヒマラヤにも行く。

更に短歌の会、随筆の会も代表を務め、碁会所にも毎週通う。世間で言うところの「ボケ」と言う字はこの恩師には無縁なのである。


毎年新年会で集まると、恩師は全員に「随筆人クラブ」の本をプレゼントしてくれる。楽しみの一つである。
恩師の今回のテーマは「空(カラ)っ風の吹く頃」である。心温まる随筆だ。
長文になるので、失礼ながら抜粋して以下に紹介する。
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戦時体制が強まる時代・・・、生れたのは北関東の農村・・・、質素と倹約こそが美徳と言われた頃の話である。
農閑期に入ると、いろんな職人さん達が農村にやってくる・・・、鍋や釜修理の鋳掛(いかけ)け屋さん、こうもり傘修理の傘直しに、包丁や鋏(はさみ)を研ぐ刃物研屋(とぎや)、鋸(のこぎり)の刃先を直す目立(めたて)屋さん、下駄の歯入れ職人や、桶や樽の修理をする桶屋や箍(たが)屋さん。
このほか季節を違わずやってくる越中富山の薬売りや、なぜか手甲脚絆(てっこうきゃはん)姿の越後からの毒消し(どっけし)売りの女性達であった。
農家での生活用品の多くは、木製品が使われていた。味噌小屋に行けば味噌樽や漬物桶が並び、納屋には運搬用の桶や、臼(うす)と杵(きね)があった。
母屋に入れば調理用の桶や、水汲み用の手桶があり、お櫃(ひつ)がある。風呂場には風呂桶があって、まさに木製品全盛の時代であった。
これらの職人さん達は長い修行が必要であったが、戦後には木製品からプラスチック等へと変わり、もはや質素や倹約の徳目は吐き捨てられ職人さん達の出番は無くなってしまったのである・・・ ・・・ ・・・
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戦前、戦中、戦後の早い時期に生まれた人達は、この随筆を読むと懐かしくそれらの用具が思い出されるだろう。
恩師の人柄が随所に感じられる随筆である。
随筆と言えば吉田兼好の『徒然草』が代表的。
「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。」

吉田兼好
どうです。高校時代が懐かしくありませんか。
リリ~ン!どうやら休み時間のベルが鳴ったようです。
早弁でもしますか。。。
新年会という授業を終えて散会した。しかし未だ非行を続ける私は恩師を特別授業と称して、補習授業ならぬ二次会へと誘導した。説教は負けるが、説得、無理強いは長年の社会で揉まれたので真面目な恩師には負けない。
恩師の話はうまい。瞬く間に補修授業を過ぎてしまった。恩師を見送る後ろ姿、背筋はきりっと、歩く姿もテンポが良い。100才どころか120才まで活躍しそうだ。中国では120歳以上は仙人と言うらしい。
至福の1日であった。
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